忍者ブログ
Don't cry coz you're so right.
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

やってしまったんですけど、果たして当時の私はどうしてここの存在を思い出せなかったのかと思っていま非常に疑問で、言い訳してしまえばあっぷあっぷしてたんだろうなあというのと甘えていたのだろうなあというのがあって、言ってしまったところで言葉は引っ込まないので厄介ですね。文章でも交わしてしまえば取り消しはきかない。

忙しさも認識していたはずなんだけど舞い上がっていたのも事実で、そこにあぐらをかいていたのだなあと思って、言わねばわからないじゃないかとこちらで憤っていたにもかかわらず、こちらは言っていない。
くずだなあと言うのと、これが俗に揶揄されるメンヘラか!と改めて実感しています。

薄々じゃないけど気付いてたけど。

やっちまったものはどうしようもないので、私はもう動くことはできずに、あとは許しを請うことができる機会を待つしかないのですけども。
自分で見返して、送った時はフンスフンスって感じだったけど、今はこれもうサイコパスじゃ…??ってなって向こうに無理やり謝罪をさせてしまっている事実よ…。こわ…近寄らんとこ案件…。
せっかちと言うより短気なので。
あと情緒が不安定なので。
言い訳はいくらでもできるのですがその機会が果たしてやってくるのか、ということだけです。

この許しを請う機会をまとうというのもきっと極端な思考のそれでやっちまったことの一部なのだろうとは自覚しています。自覚してるよ。これでもね。
冷静な部分とそうでない部分がせめぎあっていて、冷静な部分はそう出てこないのです。自分の思想に対して正解がない以上、冷静にものごとを見るとか客観的に見るとかいったってどうしても主観と思い込みと感情とに揺さぶられるのが人間なのだと思っています。
きっと客観的に見れる人は見れると思うしそういうひとが大人なのだろうと思うし、おそらく社会はそうした人がたくさんいる。
ので、我々のような人種がいくらさっきのようなことで仕方ないじゃないか主観しかないじゃないかと言ったところでそれは子供の言い訳なのだということになるのだろうなと。

それた。
一度被害者のような立場ではという認識になると、そういえばあれも、これもと忘れていた不満がやってきて、それはもしかしたらこれだけやっているじゃないかという対価と認知とを欲していると言うか、承認欲求に最も近いのではないかと思う。
現に反応があって落ち着いていたこともあったので。
謝罪を要求するモンスター客と変わらない。
一理あるように認識しているつもりでもそれは先述の主観でしかなくて、怒るのならば、せめて、訊いてからでなければならなかったと思うし、言わずに察しろ、私はこうしているのに、というのは過去の温情あらゆるものをないがしろにする行為だなと、今気付いて。
おっせーわ。
悶々しているときにもよぎったことではあるけれど、恐ろしいかな被害者意識に付随する怒りとか悲しみのようなものは強くてふつふつと出てくるもので、言えばいいのに言わないものだから貯まりに貯まって、さらに悪いことに比較をして、あっちの花は赤いのに、と思ってまた勢いを増し、周囲の目と認識にも焦りを感じている、まさに主観。私の常と同じです。
切り離せるはずもないんだけどね。
自分だけでもその焦りと比較とはあって、よく判らないことで怒ってというのがあるので、今でも後悔しかないしというよりもう羞恥と後悔の塊だから早くしんでいまいたいと常々思っているのに存外死なないので困っているんだけど。

やっちまわなくても割と常に死にたいと思っている。
幸いにもそうでないときがあったけれど、その時間を今そのやっちまった案件でぷっつり断とうとしているので、いやいやそんな遠巻きの精神の自殺は要らないんだよ精神がつらいから死にたいんであってだなと幸福なことを言っているわけで。
苦しまずに死にたいよね。
一瞬でね。

どうしてここにこなかったのかなあ~あ~もう何も動くことができないものにしてしまった。
許されざる。
かつて上司に行った態度ほど許されざる。

おんなじ人にちょこちょこやらかしてるのだめでしょってなるんだけど、いくつかは若気の至り的なもので許されるとして、許されはしないんだけど、私の羞恥だけで済むものだから相手方には被害はないので許されるとして、許されない者も複数あるので、もうだめです。

だめです。
生きづらい。
生きづらいなあ。
生きるのが向いていない。
PR
前回前々回ともやもやを非公開記事に書きなぐって、気持ちは落ち着いていないにしろ、理解はしているので、大人になるとはこういうことかなと考えるなどしています。
仕事の話ではない。
仕事もまあ、もやもやイライラおっかねえ逃げてえ〜〜とは思っていますが!つねに!

いつからこのブログはオタクではなく浮かれポンチのブログに成り下がってしまったのか。



ところで鬼灯の冷徹最新刊にて、仮想の話とはいえ、檎ちゃんとミキちゃんがそこそこ幸せな家庭を築いていた事実について…これは…公式……つまりそういう目で鬼灯様は彼らを見ているのですねと言う…合図…。

支部に行ったけど思ってたより少なくて、なんでやもうこれ公式でええやろと思っているんですが世間は違うのですか。BLの方がたぶん数が多い。
性癖に口は出さないしその趣向を否定する気も何もないけど、もっとあったっていいじゃん…!!!!!と思ってしまう。あったっていいじゃん公式で最悪ヒモになるわ発言まで出てるので実質婚約してる。エンダァァァァアアア案件。

これは…わたしが…かくしか…???と思っていたら少し元気が出てきました。
オタクで良かった。
オタクが抜けられるんじゃないかという期待も最近沸いてきますがつらいなあとか落ち込んでるなあとか最近元気ないなあというときに漫画を読んでしまうのでそういう意味では脱オタは難しいなあと思っています。
アニメは随分見なくなった。見なくなってしまったと言うべきか。
こちらは体力的なものかなと思います。視聴続けるってしんどいね。漫画も読むのしんどいけどね。ゲームも。

先日旅行に行って、疲れと旅行という非日常から来るテンションとで同行者の腕を指(そこそこ爪が伸びてる)でつんつんしまくったり肩をばしばし叩いたりして割と素で怒られた人です。
優しいのでやんわりかつでもあれは割とガチだったなというしかり方だったので猛省して、9月終盤の連休の話だったにもかかわらずまだ引きずっています。およよ。

ネガティブなので、SNSをやめた友人と遊んでいるときにふと悪気はないけどなんか厭味ったらしいことを言ってしまって、あるいは本人があまりいたくないようなことを言ってしまったので、悪いことをしたなとおよそひと月以上経とうかなという頃ですが、それも引きずっています。
SNSってそういう、機嫌を、監視ではないけど見れると言うこともあって、自分の安心感のために見てしまうところがあります。
ただ自分の安心感を求めてみているはずなのに、相手が幸せそうだったり、私で言うときちんと生活しているんだなというしっかり度を見て落ち込んだり、自分は駄目だなと鬱々したりしています。
ぜったいSNS向いてないんだよな。

ただやっぱり、友達は何をしているのかなというのとか、情報とか、面白いネタとか、そういうのが見たくて見てしまうんですね。
呟くだけにすれば心も楽なんでしょうが、でも呟くときはアプリを起動しているときであって起動してるとつい見ちゃうので、なにもしないのが一番いい。
あるいはここでこんなふうに吐き出すのが一番いい。
何が違うんでしょう。文字数とライブ感かな。感情の。どうでもいいことを好きなタイミングで手軽にいえるのはツイッターです。ブログもそういう使い方できるんだけど、ツイッターほどどうでもいいことを頻繁に言ったり奇声を発し続けたりは難しい。
でもあまりしない方が良いんだろうなあと思っています。ツイッター。しちゃうけどね。最近は少し減ったかなと思いますがそれでもけっこう呟いている気がする。もっと減らしたいです。
アカウント消せばいいんだけどなんか…数年続いてるしそれももったいないなって…。

今ここで描いてるのは上のことでもやもやしているのと、仕事とか、1年経ってワショショイという落ち着き?慣れ?とかもあるんだろうけど、あると思いたいんだけど、怒らせてしまったし、怒らせてしまったと言うことは我慢させたと言うことだし、旅行で美味しいものをたくさん食べたけど、私は美味しいものは「おいしい」としか思わなくて、でも向こうは「これはこの味」「これはこの味」って言うのを考えながら食べてて(でもこれは希少だと思う。料理上手の人がやるやつ)、言動もそんな恥ずかしいことしてンモウ!と怒らせることが多々あり、連絡も、もともと事務的な連絡が多いのもあって、大丈夫かなとか。
そういう。
悩みを。
ひとりで解決するような悩みなら延々悩むのですが、こればかりは他人の感情で、次いつ会えるともわからないままで(今まではいつくらいかなとかしばらく難しいなという話が出ることがあったんですが全くの白紙というのも久しぶりな気がする。予定が判らないので致し方ないですとは思っている)、それで悩むのもなんとも、こう。
悩んでしまうんだけどね。
人間は悩む生き物で苦しむものです。思考と感情と幸福という概念がある以上は恐らくきっと瞬間瞬間では悩みは吹き飛んでも、場面場面で悩み苦しみしんどいくらいなら死んでやると思うものです。
常に死んでやると言う気持ちです。
びびりだから死ねないけどね。一番タチが悪い。

どうなるかな。
先日、初めて発行した同人誌をネットにあげました。
もうおてぎねさんの発行できなかった話あげてるのできゃっどきどきみたいなのはないです。へたっぴのまま載せました。

初めて発行した同人誌は昨年の秋?だったかな?に、友達と出た岡山のイベントを最後に破棄しました。友達が自分のやつなんか捨てるって言うので便乗させてもらった。
漫画描くのって苦労がいって、という話はしませんが、でも苦労がいって、それはもう、そこそこ、苦労がいって。
仕事ずる休みしたりずる早退したりしました。いいよねだって入りたてほやほやだものそんな厚顔無恥イエアをやったってね。良い良い。

発行されるとやったぜ~~~という気持ちになって、入稿時の脱稿ドラッグもそうですが、なかなか嬉しいものでした。
さして刷ったわけでもないですが、ほぼ友人知り合いに押し付け押し付けして残り数冊くらいだったと思うので、そのまま破棄した次第です。結構経ってたしな。
手元には記念に1冊だけ残しています。じゅうぶんです。

解像度をさげてリサイズする過程で、読み直した、というよりは文字数も少ないのでさららと視線がおっかけていたのが正解ですが、自分が好きな話を書いたからそりゃ好きだよねと言う…気持ちになるよね…。
性癖ってそう変わらないからね。
おてぎねさんの話だって兼さんの話だって、白いなあとか、汚ねえなあとか思いながら、でもいい話じゃん…?と思ってしまう自分がいるのです。好きなものを書いたからね。

他人の創作の熱に浮かされることが最近めっきり減ってしまって、それどころかアニメも見ることが減って今期と前期ほぼ見てないですが、でも自分の好きなものを書いた自分の話でムホホとなるので、きっと根っこで創作熱はくすくすしているのではないかなという感じです。

何か書きたいって言うのはずっとあるのに不思議だなあ。
きっと時間はたくさんあるはずなんだけどな。ホワイト企業で実家に住んでるんだもんな。主にFGOをしているせいかなと思うことはあります。


さてしかしそういえば。職場で資格試験の話が合って、講習は私はまだ受けていないので全スルー状態なのですが、話を聞くに全員3級は取っておけよとりあえず受けろよなという雰囲気らしく戦々恐々としています。
簿記に触れたことのないやつが、農業をよく知らないやつが、農業簿記。
マイナーすぎて書店でテキストが見当たらないのでとりあえず簿記の初心者向け可愛いイラスト御本を買ってはやひと月、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は本を開くどころか書店の袋からさえも出していません。

やらねばよと思っています。思っているよ。知識はいくらあっても無駄じゃないし簿記ってなんか役立ちそうなあれなんでしょ、あの、高校生とか勉強してる。あれ。
FGOつよいなあ。
前のページ HOME 次のページ
photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
忍者ブログ [PR]
Calendar.
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
New entry.
(03/21)
(03/18)
(03/17)
Profile.
HN:
つんとこ
性別:
女性
自己紹介:
いつの間にかお酒が飲める歳になっていたオタクです。
Pixiv:
Twitter.