やってしまったんですけど、果たして当時の私はどうしてここの存在を思い出せなかったのかと思っていま非常に疑問で、言い訳してしまえばあっぷあっぷしてたんだろうなあというのと甘えていたのだろうなあというのがあって、言ってしまったところで言葉は引っ込まないので厄介ですね。文章でも交わしてしまえば取り消しはきかない。
忙しさも認識していたはずなんだけど舞い上がっていたのも事実で、そこにあぐらをかいていたのだなあと思って、言わねばわからないじゃないかとこちらで憤っていたにもかかわらず、こちらは言っていない。
くずだなあと言うのと、これが俗に揶揄されるメンヘラか!と改めて実感しています。
薄々じゃないけど気付いてたけど。
やっちまったものはどうしようもないので、私はもう動くことはできずに、あとは許しを請うことができる機会を待つしかないのですけども。
自分で見返して、送った時はフンスフンスって感じだったけど、今はこれもうサイコパスじゃ…??ってなって向こうに無理やり謝罪をさせてしまっている事実よ…。こわ…近寄らんとこ案件…。
せっかちと言うより短気なので。
あと情緒が不安定なので。
言い訳はいくらでもできるのですがその機会が果たしてやってくるのか、ということだけです。
この許しを請う機会をまとうというのもきっと極端な思考のそれでやっちまったことの一部なのだろうとは自覚しています。自覚してるよ。これでもね。
冷静な部分とそうでない部分がせめぎあっていて、冷静な部分はそう出てこないのです。自分の思想に対して正解がない以上、冷静にものごとを見るとか客観的に見るとかいったってどうしても主観と思い込みと感情とに揺さぶられるのが人間なのだと思っています。
きっと客観的に見れる人は見れると思うしそういうひとが大人なのだろうと思うし、おそらく社会はそうした人がたくさんいる。
ので、我々のような人種がいくらさっきのようなことで仕方ないじゃないか主観しかないじゃないかと言ったところでそれは子供の言い訳なのだということになるのだろうなと。
それた。
一度被害者のような立場ではという認識になると、そういえばあれも、これもと忘れていた不満がやってきて、それはもしかしたらこれだけやっているじゃないかという対価と認知とを欲していると言うか、承認欲求に最も近いのではないかと思う。
現に反応があって落ち着いていたこともあったので。
謝罪を要求するモンスター客と変わらない。
一理あるように認識しているつもりでもそれは先述の主観でしかなくて、怒るのならば、せめて、訊いてからでなければならなかったと思うし、言わずに察しろ、私はこうしているのに、というのは過去の温情あらゆるものをないがしろにする行為だなと、今気付いて。
おっせーわ。
悶々しているときにもよぎったことではあるけれど、恐ろしいかな被害者意識に付随する怒りとか悲しみのようなものは強くてふつふつと出てくるもので、言えばいいのに言わないものだから貯まりに貯まって、さらに悪いことに比較をして、あっちの花は赤いのに、と思ってまた勢いを増し、周囲の目と認識にも焦りを感じている、まさに主観。私の常と同じです。
切り離せるはずもないんだけどね。
自分だけでもその焦りと比較とはあって、よく判らないことで怒ってというのがあるので、今でも後悔しかないしというよりもう羞恥と後悔の塊だから早くしんでいまいたいと常々思っているのに存外死なないので困っているんだけど。
やっちまわなくても割と常に死にたいと思っている。
幸いにもそうでないときがあったけれど、その時間を今そのやっちまった案件でぷっつり断とうとしているので、いやいやそんな遠巻きの精神の自殺は要らないんだよ精神がつらいから死にたいんであってだなと幸福なことを言っているわけで。
苦しまずに死にたいよね。
一瞬でね。
どうしてここにこなかったのかなあ~あ~もう何も動くことができないものにしてしまった。
許されざる。
かつて上司に行った態度ほど許されざる。
おんなじ人にちょこちょこやらかしてるのだめでしょってなるんだけど、いくつかは若気の至り的なもので許されるとして、許されはしないんだけど、私の羞恥だけで済むものだから相手方には被害はないので許されるとして、許されない者も複数あるので、もうだめです。
だめです。
生きづらい。
生きづらいなあ。
生きるのが向いていない。
忙しさも認識していたはずなんだけど舞い上がっていたのも事実で、そこにあぐらをかいていたのだなあと思って、言わねばわからないじゃないかとこちらで憤っていたにもかかわらず、こちらは言っていない。
くずだなあと言うのと、これが俗に揶揄されるメンヘラか!と改めて実感しています。
薄々じゃないけど気付いてたけど。
やっちまったものはどうしようもないので、私はもう動くことはできずに、あとは許しを請うことができる機会を待つしかないのですけども。
自分で見返して、送った時はフンスフンスって感じだったけど、今はこれもうサイコパスじゃ…??ってなって向こうに無理やり謝罪をさせてしまっている事実よ…。こわ…近寄らんとこ案件…。
せっかちと言うより短気なので。
あと情緒が不安定なので。
言い訳はいくらでもできるのですがその機会が果たしてやってくるのか、ということだけです。
この許しを請う機会をまとうというのもきっと極端な思考のそれでやっちまったことの一部なのだろうとは自覚しています。自覚してるよ。これでもね。
冷静な部分とそうでない部分がせめぎあっていて、冷静な部分はそう出てこないのです。自分の思想に対して正解がない以上、冷静にものごとを見るとか客観的に見るとかいったってどうしても主観と思い込みと感情とに揺さぶられるのが人間なのだと思っています。
きっと客観的に見れる人は見れると思うしそういうひとが大人なのだろうと思うし、おそらく社会はそうした人がたくさんいる。
ので、我々のような人種がいくらさっきのようなことで仕方ないじゃないか主観しかないじゃないかと言ったところでそれは子供の言い訳なのだということになるのだろうなと。
それた。
一度被害者のような立場ではという認識になると、そういえばあれも、これもと忘れていた不満がやってきて、それはもしかしたらこれだけやっているじゃないかという対価と認知とを欲していると言うか、承認欲求に最も近いのではないかと思う。
現に反応があって落ち着いていたこともあったので。
謝罪を要求するモンスター客と変わらない。
一理あるように認識しているつもりでもそれは先述の主観でしかなくて、怒るのならば、せめて、訊いてからでなければならなかったと思うし、言わずに察しろ、私はこうしているのに、というのは過去の温情あらゆるものをないがしろにする行為だなと、今気付いて。
おっせーわ。
悶々しているときにもよぎったことではあるけれど、恐ろしいかな被害者意識に付随する怒りとか悲しみのようなものは強くてふつふつと出てくるもので、言えばいいのに言わないものだから貯まりに貯まって、さらに悪いことに比較をして、あっちの花は赤いのに、と思ってまた勢いを増し、周囲の目と認識にも焦りを感じている、まさに主観。私の常と同じです。
切り離せるはずもないんだけどね。
自分だけでもその焦りと比較とはあって、よく判らないことで怒ってというのがあるので、今でも後悔しかないしというよりもう羞恥と後悔の塊だから早くしんでいまいたいと常々思っているのに存外死なないので困っているんだけど。
やっちまわなくても割と常に死にたいと思っている。
幸いにもそうでないときがあったけれど、その時間を今そのやっちまった案件でぷっつり断とうとしているので、いやいやそんな遠巻きの精神の自殺は要らないんだよ精神がつらいから死にたいんであってだなと幸福なことを言っているわけで。
苦しまずに死にたいよね。
一瞬でね。
どうしてここにこなかったのかなあ~あ~もう何も動くことができないものにしてしまった。
許されざる。
かつて上司に行った態度ほど許されざる。
おんなじ人にちょこちょこやらかしてるのだめでしょってなるんだけど、いくつかは若気の至り的なもので許されるとして、許されはしないんだけど、私の羞恥だけで済むものだから相手方には被害はないので許されるとして、許されない者も複数あるので、もうだめです。
だめです。
生きづらい。
生きづらいなあ。
生きるのが向いていない。
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