4か月ぶりの記事ですがまだメンタルのガス欠は続き気味というか、時折元気を取り戻すんだけど定期的に「おれはもうだめだ…早く来世に…」という気持ちとよくわからないけど涙が出るという疲れてるんだな自分という気持ちとがやってきます。
おそらくはパツパツです。キャパが元から少ないからね!
今日時点においては休みというのとかがあって、少し元気を取り戻しています。漫画は我々の心を救う。
それでも春アニメからこっち、全然アニメを見ていなくって、P5も金カムも見ていなくって、いつの間にか夏アニメになってて夏何をやってるのかすら知らなくってという少し前の私なら信じられない事態になっています。
でも無理してみるもんでもないしなと思って、まれにはたらく細胞は見てます。血小板ちゃんがかわいいのでカサブタが出来てほしい年ごろ。
アンゴルモアも見なくちゃと思いながらもう8月も下旬を迎えてしまい悲しい気持ちです。でもFGOくんの夏イベのマラソンがしんどいのも原因だと思うんだよね。完走しようとしてるからだろうか…いやでもまだ高難易度も配布もある…遠い…。
FGOくんのためについ先日とうとうアイホンになりました。慣れねえ…出来ることが出来ねえ…と思っていたんですがなんとか生活には困ってないです。使ってるアプリが少ないからね。ネットとツイッターとFGOとLINEがあったらまあ…死なない…どうぶつの森は引き継げなかったけどあんまりやってなかったので未練もないし…スマホにした当初からやってたキャンディークラッシュは無事データ引き継げたし…。
ぱつぱつだけど、ぱつぱつなりに、元気を出そうとしているというか、元気を出す方法があって、ひとつはやっぱり漫画とかオタク要素なんですけど、アニメ視聴がしんどくなってしまったぶんタイバニや松や刀ばりのすごいどハマりをしないとなかなか難しいなあという感じです。
活撃の2期とかあったら絶対見るんだけど映画だしなあ…みるけど…。
ひとつにamazarashiの歌です。好きというか、好きなんだけど「僕が死のうと思ったのは」という歌の「死ぬことばかり考えてしまうのはきっと生きることにまじめすぎるから」っていうフレーズ。
あんなに楽な気持ちになるフレーズに出会うことは、あったとしてもきっとずっと先なんだろうと言う感じです。いま真面目かどうかはさておき。
就活でハートブレイクになってからはだいぶ不真面目になって、しんどいことから逃げようという気持ちが強くなっている節はあります。欲望に忠実になった。おかげで買い物も欲しいもの買っちゃうぞいえーいというクソぶりになってしまったので改めなくてはならないなと思っています。
前の記事を見てたら、やれお料理が、というのを書いてて、今もそうなんだけど、でもたまに練習などをしています。今日はかぼちゃコロッケ作ったよ!でも揚げたのはおかーさんだから私はマッシュしたり炒めたりこねたり衣付けただけだよ!
少し前、両親が兄宅に行っているときに家事をしていて、味噌汁がうっすい味になってしまったのはまだ心の傷として残っています。ダシの素足りなかった…多分…。
おそらくはパツパツです。キャパが元から少ないからね!
今日時点においては休みというのとかがあって、少し元気を取り戻しています。漫画は我々の心を救う。
それでも春アニメからこっち、全然アニメを見ていなくって、P5も金カムも見ていなくって、いつの間にか夏アニメになってて夏何をやってるのかすら知らなくってという少し前の私なら信じられない事態になっています。
でも無理してみるもんでもないしなと思って、まれにはたらく細胞は見てます。血小板ちゃんがかわいいのでカサブタが出来てほしい年ごろ。
アンゴルモアも見なくちゃと思いながらもう8月も下旬を迎えてしまい悲しい気持ちです。でもFGOくんの夏イベのマラソンがしんどいのも原因だと思うんだよね。完走しようとしてるからだろうか…いやでもまだ高難易度も配布もある…遠い…。
FGOくんのためについ先日とうとうアイホンになりました。慣れねえ…出来ることが出来ねえ…と思っていたんですがなんとか生活には困ってないです。使ってるアプリが少ないからね。ネットとツイッターとFGOとLINEがあったらまあ…死なない…どうぶつの森は引き継げなかったけどあんまりやってなかったので未練もないし…スマホにした当初からやってたキャンディークラッシュは無事データ引き継げたし…。
ぱつぱつだけど、ぱつぱつなりに、元気を出そうとしているというか、元気を出す方法があって、ひとつはやっぱり漫画とかオタク要素なんですけど、アニメ視聴がしんどくなってしまったぶんタイバニや松や刀ばりのすごいどハマりをしないとなかなか難しいなあという感じです。
活撃の2期とかあったら絶対見るんだけど映画だしなあ…みるけど…。
ひとつにamazarashiの歌です。好きというか、好きなんだけど「僕が死のうと思ったのは」という歌の「死ぬことばかり考えてしまうのはきっと生きることにまじめすぎるから」っていうフレーズ。
あんなに楽な気持ちになるフレーズに出会うことは、あったとしてもきっとずっと先なんだろうと言う感じです。いま真面目かどうかはさておき。
就活でハートブレイクになってからはだいぶ不真面目になって、しんどいことから逃げようという気持ちが強くなっている節はあります。欲望に忠実になった。おかげで買い物も欲しいもの買っちゃうぞいえーいというクソぶりになってしまったので改めなくてはならないなと思っています。
前の記事を見てたら、やれお料理が、というのを書いてて、今もそうなんだけど、でもたまに練習などをしています。今日はかぼちゃコロッケ作ったよ!でも揚げたのはおかーさんだから私はマッシュしたり炒めたりこねたり衣付けただけだよ!
少し前、両親が兄宅に行っているときに家事をしていて、味噌汁がうっすい味になってしまったのはまだ心の傷として残っています。ダシの素足りなかった…多分…。
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恐ろしいことにまたひとつ歳をとって、仕事では担当分が増えたりなどして(せめてサブで良いと思う)、メンタルのガス欠を経験しながら現在は比較的元気に生きています。
ガス欠の時はひどかったのでいつの間にかアニメも見なくなってしまい、アンナチュラルだけという不思議な期間でした。
疲れているときは趣味もやらないのが一番だなあと思いました。
ガス欠の時に友人とごはんを食べて非常に暗い話などをして、ツイッターやめたら?という神の一言をいただき、アカウントを残しこそすれ見ることを減らしたら元気が戻ってきました。
他者との降伏の比較というのはフェイスブックとかインスタグラムとか、リア充きらきら人間の使う者だけだと思っていたのですがSNSという他人の生活が見られるものである以上、ツイッターも例外ではなかったようです。
コミックナタリーだけ定期的に覗いたりしているけど、友達のアカウントもほぼ見なくなり、先日中国地方で起きた地震のときに久しぶりにTLを見たくらいで、あとは言い逃げの日々です。
しかしおかげで元気です。
今は元気にFGOも再開しています。
FGO、スマホが4年ほど前に買った古いものだとか、アプリ他にも入れてるとかがあると思うんですがとても調子のばらつきがあって、やってるだけでストレス!ばか!うごけ!という時があるんだけど、また少しずつ遊び始めました。
ログインはずっとしてたけどね。
いつの間にか2部が開始され、しかし私はセイレムで魔女裁判との闘いの最中です。マタハリさんは良いですが女王もとても良いです…真名わからないまま大魔女さんと女王が召喚されていたので、無事に名前が判ってよかった。
いつの間にか冬アニメが知らない間に終わっていたのですが、しかしそれは知らない間に春アニメが始まったと言うことで、ゴールデンカムイが始まりました。
やった。
放送できるのか。
読み返してみると最初の方はとても青年漫画らしいかっこよさで、変態は出てきませんでした。すごい!あんなに!変態の祭りみたいな言われようなのに!
支遁先生のせいかな!!
まだ見てないけどキャストも非常に豪華だし見なくちゃと思っています。見る…辺見チャンもでるからみる…
「1度しかない人生」というありふれたフレーズですが、ガス欠の際に度々しのうしのうと向き合ってみて、そのフレーズの重さを知っているところです。
たまに忘れたりするけど。
しかしそれは、1度しかないということがわからないからであって、たぶんほとんどの人間はそうなんだと思うんですけれども。
ガス欠を起こしそうなときはフレーズと、それを思い出したときに感じる不思議な気持ちを思い出して、のびのびやろうやと思ったりするようにして…ないな。ここに書いたことで、これからそういうふうに考えることができれば良いと思っています。
なんだか良いことを話した感じになった。
ガス欠の時はひどかったのでいつの間にかアニメも見なくなってしまい、アンナチュラルだけという不思議な期間でした。
疲れているときは趣味もやらないのが一番だなあと思いました。
ガス欠の時に友人とごはんを食べて非常に暗い話などをして、ツイッターやめたら?という神の一言をいただき、アカウントを残しこそすれ見ることを減らしたら元気が戻ってきました。
他者との降伏の比較というのはフェイスブックとかインスタグラムとか、リア充きらきら人間の使う者だけだと思っていたのですがSNSという他人の生活が見られるものである以上、ツイッターも例外ではなかったようです。
コミックナタリーだけ定期的に覗いたりしているけど、友達のアカウントもほぼ見なくなり、先日中国地方で起きた地震のときに久しぶりにTLを見たくらいで、あとは言い逃げの日々です。
しかしおかげで元気です。
今は元気にFGOも再開しています。
FGO、スマホが4年ほど前に買った古いものだとか、アプリ他にも入れてるとかがあると思うんですがとても調子のばらつきがあって、やってるだけでストレス!ばか!うごけ!という時があるんだけど、また少しずつ遊び始めました。
ログインはずっとしてたけどね。
いつの間にか2部が開始され、しかし私はセイレムで魔女裁判との闘いの最中です。マタハリさんは良いですが女王もとても良いです…真名わからないまま大魔女さんと女王が召喚されていたので、無事に名前が判ってよかった。
いつの間にか冬アニメが知らない間に終わっていたのですが、しかしそれは知らない間に春アニメが始まったと言うことで、ゴールデンカムイが始まりました。
やった。
放送できるのか。
読み返してみると最初の方はとても青年漫画らしいかっこよさで、変態は出てきませんでした。すごい!あんなに!変態の祭りみたいな言われようなのに!
支遁先生のせいかな!!
まだ見てないけどキャストも非常に豪華だし見なくちゃと思っています。見る…辺見チャンもでるからみる…
「1度しかない人生」というありふれたフレーズですが、ガス欠の際に度々しのうしのうと向き合ってみて、そのフレーズの重さを知っているところです。
たまに忘れたりするけど。
しかしそれは、1度しかないということがわからないからであって、たぶんほとんどの人間はそうなんだと思うんですけれども。
ガス欠を起こしそうなときはフレーズと、それを思い出したときに感じる不思議な気持ちを思い出して、のびのびやろうやと思ったりするようにして…ないな。ここに書いたことで、これからそういうふうに考えることができれば良いと思っています。
なんだか良いことを話した感じになった。
泣いてしまいました。8話見ました。
今期、本当はアニメのFateとか松2期とかさくらちゃんとかポプテピとかあってみてたんですけど、なんというかメンタルがガス欠を起こしてしまって今もまだプスプス言っているので見てないんです。
でもドラマのアンナチュラルは見てます。
うっかり3話?裁判の回を見てめっちゃ面白いなというのに気付いてしまってそこから慌てて前の回を追いついてそこから毎週見ています。リアルタイムはまれでインターネットで見れるやつをお部屋でこっそり。素敵な時代です録画しなくてもドラマ見れる。1週間だけだけど。
現代風刺というか、そういうのを交えつつ、テンポがよく、ギャグもはさみつつ、医学用語は判らないので実際の現場とは違うところもあるかもしれないし現場の人はああいう組織があったらな~~~って言うのもあるかもしれないし科捜研の女みたいにいやいや違うよってなるかもしれないけど素人目にはへーって思うところも多くて楽しいです。
勧善懲悪なところがあり、涙あり…涙あり……笑いあり涙あり。
泣いてしまいました8話。帰る場所と死者への向き合い方というか、心象、思い出とか、すごい回だった。3回くらい泣いた。
六郎が変わってきてるのとか恋心とかもなんですけど、私はいつの間にか中堂さんに落ちていて。
かっわいいんですねあの人ね…あんなにクソクソ言ってるし髪の毛もっさりだしおっかないし2次元の存在かなと言う感じの風貌。でもかわいい…不思議…逆にクソクソ言われている始末かわいい。
でも恋人の話をするとき穏やかな声で、仕事に対しても非常に真摯で優秀…協力を要請したりする…かわいい…。
死体がUDIで調べられなくて中堂さんの自宅で調査ってなった時に、ミコトが「何か手伝えることがあれば」って言った時の「もうやってる」がもう…なんてこった…。あんなもの好きになるに決まっている…。
糀谷さんと話しているときもああいうふっと笑う感じの笑顔で絵本の話を聞いていたのかなと思うとなんだか幸せな気持ちになります。いつか回想で二人を見たい。
それてしまった、8話。
身元不明遺体というのも、不思議な話で、人間って男性と女性の親がいないと生まれなくて、生まれたあとも放っておいて育つわけでもなくて、ご飯食べさせてもらって教育を施されて大きくなっていくはずで、その人を全然知らない人間っていうのは絶対この世に居ないはずなのに、身元不明。
それはもちろん身元が分かってないって言うだけで、宙ぶらりんな人だよという訳ではないけれど、不思議だし寂しい話だなと思ったり。アンナチュラルは東北の震災のことも触れるので、さすがにそれがフィクションじゃないだろうっていうのは、先日2人の身元が明らかになったというニュースからもなんとなく察しますが、知らない所でああいう風に判らない人がいるんだなあというのは、なんとも胸がきゅっとなるというか。
個人の判別は言ってしまえば記録の集まりであって、その個人だよと証明するものがなければ私が花子さんだよと名乗ったってああそうなのねで終わるのです。記録と記憶の集まりで個人は成り立っている以上、きっと自分のアイデンティティもそうなんです。あの時こんなことした、こんなことがあったは私の記憶でしかなくて私が忘れたり死んだりすれば、それを覚えている誰かや写真やビデオがない限りそんなことはなかったのと同じなのです。
推測ではあるけれど、震災はそういう、覚えている人も記録もなにかもが奪われるものなんだったんだろうと。
3月で、ドラマはきっとそれらのことを忘れないために言葉を発してくれているのだと思いますけれど、話の内容も相まってうっかり考え込んでしまうその脚本の巧みさはすごいと思います。
それと、ガス欠していた時、当然のように死にたいという概念に悶々としていたんですが、我々はたまたま生きているに過ぎないというのは然りと思いながらも、死ぬこともそれはたまたまそうなってしまったというだけなんだなあと思いました。
当然と言えば当然なんですけど、たまたま死ぬんですね。大杉連さんが先日亡くなったけど、それもたまたま突然になったのであって。死ぬことは渇望するほど遠くないけど、生きている以上それは「たまたま」と呼べるくらい近い。
上手く言えないですけど、でもたまたま死んでしまう人がいるのだと、それはきっと覚えておかないといけないんだなと。神も仏も生きた人間から生まれたのならば、反対のことだってたまたまです。
ううんうまく言えない。
しかし~~~~次回予告の不穏さは~~~なに~~~~!!!
UDIが何の悪いことをしてるの~~~!!!宍戸~~~!!!おまえ~~~~!!!!!
中堂さんが笑うことが増えてきて、ミコトと一緒に謎を追いかけるようになって、六郎も自分の見つめ直しに一区切りついたところに宍戸おまえ~~~~!!!!ぶんえいしゃ~~~~!!!!
今期、本当はアニメのFateとか松2期とかさくらちゃんとかポプテピとかあってみてたんですけど、なんというかメンタルがガス欠を起こしてしまって今もまだプスプス言っているので見てないんです。
でもドラマのアンナチュラルは見てます。
うっかり3話?裁判の回を見てめっちゃ面白いなというのに気付いてしまってそこから慌てて前の回を追いついてそこから毎週見ています。リアルタイムはまれでインターネットで見れるやつをお部屋でこっそり。素敵な時代です録画しなくてもドラマ見れる。1週間だけだけど。
現代風刺というか、そういうのを交えつつ、テンポがよく、ギャグもはさみつつ、医学用語は判らないので実際の現場とは違うところもあるかもしれないし現場の人はああいう組織があったらな~~~って言うのもあるかもしれないし科捜研の女みたいにいやいや違うよってなるかもしれないけど素人目にはへーって思うところも多くて楽しいです。
勧善懲悪なところがあり、涙あり…涙あり……笑いあり涙あり。
泣いてしまいました8話。帰る場所と死者への向き合い方というか、心象、思い出とか、すごい回だった。3回くらい泣いた。
六郎が変わってきてるのとか恋心とかもなんですけど、私はいつの間にか中堂さんに落ちていて。
かっわいいんですねあの人ね…あんなにクソクソ言ってるし髪の毛もっさりだしおっかないし2次元の存在かなと言う感じの風貌。でもかわいい…不思議…逆にクソクソ言われている始末かわいい。
でも恋人の話をするとき穏やかな声で、仕事に対しても非常に真摯で優秀…協力を要請したりする…かわいい…。
死体がUDIで調べられなくて中堂さんの自宅で調査ってなった時に、ミコトが「何か手伝えることがあれば」って言った時の「もうやってる」がもう…なんてこった…。あんなもの好きになるに決まっている…。
糀谷さんと話しているときもああいうふっと笑う感じの笑顔で絵本の話を聞いていたのかなと思うとなんだか幸せな気持ちになります。いつか回想で二人を見たい。
それてしまった、8話。
身元不明遺体というのも、不思議な話で、人間って男性と女性の親がいないと生まれなくて、生まれたあとも放っておいて育つわけでもなくて、ご飯食べさせてもらって教育を施されて大きくなっていくはずで、その人を全然知らない人間っていうのは絶対この世に居ないはずなのに、身元不明。
それはもちろん身元が分かってないって言うだけで、宙ぶらりんな人だよという訳ではないけれど、不思議だし寂しい話だなと思ったり。アンナチュラルは東北の震災のことも触れるので、さすがにそれがフィクションじゃないだろうっていうのは、先日2人の身元が明らかになったというニュースからもなんとなく察しますが、知らない所でああいう風に判らない人がいるんだなあというのは、なんとも胸がきゅっとなるというか。
個人の判別は言ってしまえば記録の集まりであって、その個人だよと証明するものがなければ私が花子さんだよと名乗ったってああそうなのねで終わるのです。記録と記憶の集まりで個人は成り立っている以上、きっと自分のアイデンティティもそうなんです。あの時こんなことした、こんなことがあったは私の記憶でしかなくて私が忘れたり死んだりすれば、それを覚えている誰かや写真やビデオがない限りそんなことはなかったのと同じなのです。
推測ではあるけれど、震災はそういう、覚えている人も記録もなにかもが奪われるものなんだったんだろうと。
3月で、ドラマはきっとそれらのことを忘れないために言葉を発してくれているのだと思いますけれど、話の内容も相まってうっかり考え込んでしまうその脚本の巧みさはすごいと思います。
それと、ガス欠していた時、当然のように死にたいという概念に悶々としていたんですが、我々はたまたま生きているに過ぎないというのは然りと思いながらも、死ぬこともそれはたまたまそうなってしまったというだけなんだなあと思いました。
当然と言えば当然なんですけど、たまたま死ぬんですね。大杉連さんが先日亡くなったけど、それもたまたま突然になったのであって。死ぬことは渇望するほど遠くないけど、生きている以上それは「たまたま」と呼べるくらい近い。
上手く言えないですけど、でもたまたま死んでしまう人がいるのだと、それはきっと覚えておかないといけないんだなと。神も仏も生きた人間から生まれたのならば、反対のことだってたまたまです。
ううんうまく言えない。
しかし~~~~次回予告の不穏さは~~~なに~~~~!!!
UDIが何の悪いことをしてるの~~~!!!宍戸~~~!!!おまえ~~~~!!!!!
中堂さんが笑うことが増えてきて、ミコトと一緒に謎を追いかけるようになって、六郎も自分の見つめ直しに一区切りついたところに宍戸おまえ~~~~!!!!ぶんえいしゃ~~~~!!!!
旅行というか大阪に1泊で遊びに行くだけで、これはまあよくあることで旅行と呼べるかは謎ですが行ってきます。
楽しみなことが待っているうち=元気なうちに嫌なことを終わらせようと思って、3月にある出張の要件を終わらそうと試みて相手方に突然失礼なメールを送るなどしていました。
お返事がいただければなんとか、次の手を打つなど出来ると思っているのですけれども、スポンと迷惑メール行きでわからない!どうしよう!となればそれはもうなんか、途中で見限ってどこかしら余所にお願いするしかないわけです。
以前行った同期に話を伺ったところ、事前にアポを取った人は半分くらい、同期は突撃を敢行したそうで、すげーなと思いました。
上記がだめだよーとか、スポンと迷惑メール行きっぽいなと思ったら、とりあえず同期が行ったところに連絡を取って…ということにしようと思っています。下敷きがあるというのは少しだけ楽なものです。
というか私はね、東京で行きたいところと言えば土方さんの生家と博物館諸々くらいであって、やれおしゃれなお洋服だとかというのはさして興味ないんですよ。
イオンで買うからね。
おしゃれなお洋服とかは、そんな高松の商店街ですらびびってる私がTOKYOで服なぞそんな。
泊まるところも職場の施設で知らない人と同室だそうなので、もう戦々恐々です。こわい。
まず飛行機に乗れない。
手荷物?
預ける?
送る?
手続き???
わからないです。
驚くほどわからないです。
どこでなにをしてどうやってどれをして乗るのか想像もつかない…誰かと一緒に乗ってから行きたい。
世の中の人はひとりで初めて飛行機に乗れるのでしょうか。服部平次なんて学校帰りに工藤に会いに来る(飛行機)んだぜ、すごくない?お金持ちは違う。そして飛行機にも乗れる。
私には知らないことが多すぎるので、知っている人に教えて貰いながら行動したいのです。しかし大人になると皆、これ知ってるよね?という体で進んでいくのが恐ろしい…おまえら自分で考えろよなという無言の圧を感じます。
考えたって知らないものは知れないというのに。
月に一度のしんどい時期が終わって今すこしだけ気持ちが明るいです。大阪に遊びに行くのも控えているので。
でも終わった後のことを考えると憂鬱でしかない…買い出しに行けるのがあと土日2回、その間に仕事の待機日が合わさると3日です。3日で何をしろと言うのか。何も準備していない私に。
あわあ~~いやだなあ~~~
楽しみなことが待っているうち=元気なうちに嫌なことを終わらせようと思って、3月にある出張の要件を終わらそうと試みて相手方に突然失礼なメールを送るなどしていました。
お返事がいただければなんとか、次の手を打つなど出来ると思っているのですけれども、スポンと迷惑メール行きでわからない!どうしよう!となればそれはもうなんか、途中で見限ってどこかしら余所にお願いするしかないわけです。
以前行った同期に話を伺ったところ、事前にアポを取った人は半分くらい、同期は突撃を敢行したそうで、すげーなと思いました。
上記がだめだよーとか、スポンと迷惑メール行きっぽいなと思ったら、とりあえず同期が行ったところに連絡を取って…ということにしようと思っています。下敷きがあるというのは少しだけ楽なものです。
というか私はね、東京で行きたいところと言えば土方さんの生家と博物館諸々くらいであって、やれおしゃれなお洋服だとかというのはさして興味ないんですよ。
イオンで買うからね。
おしゃれなお洋服とかは、そんな高松の商店街ですらびびってる私がTOKYOで服なぞそんな。
泊まるところも職場の施設で知らない人と同室だそうなので、もう戦々恐々です。こわい。
まず飛行機に乗れない。
手荷物?
預ける?
送る?
手続き???
わからないです。
驚くほどわからないです。
どこでなにをしてどうやってどれをして乗るのか想像もつかない…誰かと一緒に乗ってから行きたい。
世の中の人はひとりで初めて飛行機に乗れるのでしょうか。服部平次なんて学校帰りに工藤に会いに来る(飛行機)んだぜ、すごくない?お金持ちは違う。そして飛行機にも乗れる。
私には知らないことが多すぎるので、知っている人に教えて貰いながら行動したいのです。しかし大人になると皆、これ知ってるよね?という体で進んでいくのが恐ろしい…おまえら自分で考えろよなという無言の圧を感じます。
考えたって知らないものは知れないというのに。
月に一度のしんどい時期が終わって今すこしだけ気持ちが明るいです。大阪に遊びに行くのも控えているので。
でも終わった後のことを考えると憂鬱でしかない…買い出しに行けるのがあと土日2回、その間に仕事の待機日が合わさると3日です。3日で何をしろと言うのか。何も準備していない私に。
あわあ~~いやだなあ~~~
漫画は良いものです。
自己がそこにない。
今日は少し文体を変えてみよう。
ここのブログも長いけど、こういう書き方は初めてかもしれない。とても自分のために描いていると言う感じがして良いと思う。
アイデンティティというか、自己というのは、他者と比較して成り立つものという話を聞いたことがある。事実物事はすべからく比較してはじめてそれとわかる。
大きいものは何と比べて大きいのか。
寒いときは何と比べて寒いのか。
私はあなたと比べて、というのがきっと自己に当たる。
あなたと比べて背が大きい。あなたと比べて声が高い。他人との違いが自己の始まりになると思う。
しかし一方で社会は同じものを望む。とりわけおそらく、日本において。島国だから云々という話を、学生のころ、たぶん国語の教科書で読んだ。他人と同じであることを尊ぶ。「浮く」とか「空気を読む」というのを大事にする。よって、ある勤続年数で出来ないことがあれば何故と言われ、ある年齢でこうしなければなぜと言われる。若い娘さんが結婚やら子供やらを問われる恒例行事も恐らくそれであって、そうした背景には「同年代はしている」「我々の頃はしていた」「○○であれば当然」という、一種同調の、「浮く」ことがないことを尊ぶその背景にあると思う。
とりわけ私はそれがひどい。
同じでなければならないと思うし、浮くことを嫌う。人の前で発表するとか、そういった類はいわば聴衆という過半数に対して非常に「浮く」ので嫌い。よって、○○なのにできない…というのも非常に嫌い。
できないこと=わるいことばかりではないことは承知ではあるけど、それによる落胆と言うか、嫌われと言うか、それが非常に恐ろしい。
女性は女子の日の前とか後とか最中とか、まあおよそ多分、常に情緒不安定なんだろうけど、気持ちや体がなんだか違うぞという日があると言う。ホルモンバランスというやつらしい。便利な言葉だ。
しかし悲しいかな私もおそらくその症例があって、非常に食い気がはったり、異常な眠気がきたり(あるいはこれはいつものただの寝不足+暇+暖かいがゆえんである可能性が非常に高い)もあるけれど、とりわけ顕著なのがネガティブだと思う。
差はありこそすれ、出るとただ死にたい死にたいと思うようになる。
少し前にもあったね。
今回はまだましなほうで、というのもたぶん、前回があんなことになってつらかったから、少しから元気をと思って好きなことをしたり買い物行ったりということをしていたからだと思う。
さりとてネガティブが非常に強い時期なので、軽いスイッチで落ちてしまう。
そのスイッチが私の場合他者との比較になる。
私よりしっかりしているとか、私に出来ないことをしているとか、私もきっとするべき行いなのに私はしていないとか、その類を目にしたとき。
およそ社会のこれくらいの人間はできてしかるべきと言うことが私には一切できない。出来ないと言って過言ではない。かつても出来てなどいなかっただろうし、思い返せば私の自室に友人が来たことが何度あっただろう。
ここで私を励ますのなら、きっと集合場所が少し遠いとか、皆から近いところとなると私の家ではなく他の家に、ということだったのかもしれないけれど、今の私はただ、私が至らなかったばかりにとそこでまた落ちてしまう。
匂いだろうか、片付けだろうか、洗濯もまともではなかっただろう。
マイナスをあげればきりがない。連鎖して失敗していたことしか思い出さない。
しかしこれが前述のホルモンバランスというやつならいずれ落ち着くはずで、普段の、悪いことに目をつむった都合の良い私が元気に闊歩するようになる。ふだんはわりと寝たら忘れる方だから。
そしてあるいは治療が可能になる。ネットを見る限りである。
よって忘備録としてここにどんな具合にネガティブなのか?何を思考しているのかをメモ代わりに書いてみた。一部ね。
この書き方は慣れませんね。いけない。ユーモアが減ってしまうしただの愚痴に見える。
愚痴なんだけど。
あ~出張用のレポートとアポ取らなきゃ…もう2月…元気が出ない…
自己がそこにない。
今日は少し文体を変えてみよう。
ここのブログも長いけど、こういう書き方は初めてかもしれない。とても自分のために描いていると言う感じがして良いと思う。
アイデンティティというか、自己というのは、他者と比較して成り立つものという話を聞いたことがある。事実物事はすべからく比較してはじめてそれとわかる。
大きいものは何と比べて大きいのか。
寒いときは何と比べて寒いのか。
私はあなたと比べて、というのがきっと自己に当たる。
あなたと比べて背が大きい。あなたと比べて声が高い。他人との違いが自己の始まりになると思う。
しかし一方で社会は同じものを望む。とりわけおそらく、日本において。島国だから云々という話を、学生のころ、たぶん国語の教科書で読んだ。他人と同じであることを尊ぶ。「浮く」とか「空気を読む」というのを大事にする。よって、ある勤続年数で出来ないことがあれば何故と言われ、ある年齢でこうしなければなぜと言われる。若い娘さんが結婚やら子供やらを問われる恒例行事も恐らくそれであって、そうした背景には「同年代はしている」「我々の頃はしていた」「○○であれば当然」という、一種同調の、「浮く」ことがないことを尊ぶその背景にあると思う。
とりわけ私はそれがひどい。
同じでなければならないと思うし、浮くことを嫌う。人の前で発表するとか、そういった類はいわば聴衆という過半数に対して非常に「浮く」ので嫌い。よって、○○なのにできない…というのも非常に嫌い。
できないこと=わるいことばかりではないことは承知ではあるけど、それによる落胆と言うか、嫌われと言うか、それが非常に恐ろしい。
女性は女子の日の前とか後とか最中とか、まあおよそ多分、常に情緒不安定なんだろうけど、気持ちや体がなんだか違うぞという日があると言う。ホルモンバランスというやつらしい。便利な言葉だ。
しかし悲しいかな私もおそらくその症例があって、非常に食い気がはったり、異常な眠気がきたり(あるいはこれはいつものただの寝不足+暇+暖かいがゆえんである可能性が非常に高い)もあるけれど、とりわけ顕著なのがネガティブだと思う。
差はありこそすれ、出るとただ死にたい死にたいと思うようになる。
少し前にもあったね。
今回はまだましなほうで、というのもたぶん、前回があんなことになってつらかったから、少しから元気をと思って好きなことをしたり買い物行ったりということをしていたからだと思う。
さりとてネガティブが非常に強い時期なので、軽いスイッチで落ちてしまう。
そのスイッチが私の場合他者との比較になる。
私よりしっかりしているとか、私に出来ないことをしているとか、私もきっとするべき行いなのに私はしていないとか、その類を目にしたとき。
およそ社会のこれくらいの人間はできてしかるべきと言うことが私には一切できない。出来ないと言って過言ではない。かつても出来てなどいなかっただろうし、思い返せば私の自室に友人が来たことが何度あっただろう。
ここで私を励ますのなら、きっと集合場所が少し遠いとか、皆から近いところとなると私の家ではなく他の家に、ということだったのかもしれないけれど、今の私はただ、私が至らなかったばかりにとそこでまた落ちてしまう。
匂いだろうか、片付けだろうか、洗濯もまともではなかっただろう。
マイナスをあげればきりがない。連鎖して失敗していたことしか思い出さない。
しかしこれが前述のホルモンバランスというやつならいずれ落ち着くはずで、普段の、悪いことに目をつむった都合の良い私が元気に闊歩するようになる。ふだんはわりと寝たら忘れる方だから。
そしてあるいは治療が可能になる。ネットを見る限りである。
よって忘備録としてここにどんな具合にネガティブなのか?何を思考しているのかをメモ代わりに書いてみた。一部ね。
この書き方は慣れませんね。いけない。ユーモアが減ってしまうしただの愚痴に見える。
愚痴なんだけど。
あ~出張用のレポートとアポ取らなきゃ…もう2月…元気が出ない…